差別のない明るい社会を目指して

差別のない明るい社会を目指して

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みなさんこんにちは。

 

24時間テレビが行われた直後に、
こんな記事を書くと
人格を疑われそうですが
今回は障害者について
書きたいと思います。

 

タイトルからもわかる通り、
若干批判的な内容も含んでいるので
こういう記事が嫌いな人は
戻るボタン押してください。

 

 

…忠告したからな。

 

後から苦情とか受け付けないぞ。(笑)

 

あと、便宜上
「障害者」
「健常者」
という書き方をします。

 

この言葉好きじゃないんですが。

 

 

まあ、どこぞの企業のように
「ハンディキャップさん」
と呼ぶよりはましですね。

 

この呼び名、本当に嫌い。

 

障害者と呼ぶと
差別的に聞こえるから、
という理由だと思うんだけど、
これ、丁寧に呼んでいるようで、
一番差別的に聞こえる。

 

 

…話が脱線しましたね。

いつもの事です。

 

 

さて、先日、駅の中で車いすの
女性が通行していました。

 

僕は片耳難聴という
軽度の障害持ちなので
その女性が通行することに
気付くのが遅れました。
(音の発生方向がわかりにくいのです)

 

すると気づかない僕に
イラついたのか女性は
わざと車いすで大きめの音を出して
「どいてもらっていいですか?」
と僕に言いました。

 

 

 

はああああ!?
(正直な心の声)

 

そこは
「すみません、通ります」
でよくね?

 

と、もう少しで
口から出るところでした。

 

喉まで出かかったので
慌ててごっくんしました。
(僕、偉い!)

 

女性じゃなかったら
心の中
『伝説の右ストレート』

食らわせてたぞ!

…実際には殴りませんよ。(笑)

 

 

相手の真意はわかりかねますが、
その態度はいかにも
「こういう事情があるんだから退いてよ」
と言っているように見えました。

 

健常者の2倍ものスペースを取って
通行している側が
相手が退くことを当然と考える。

 

僕はこれには違和感を覚えます。

 

 

車いすであることは
相手の事情です。

 

僕には責任がありません。
(人格疑われそうな発言ですが事実です。)

 

 

もちろん僕は相手のそういう事情を汲んで
気を遣うべきではあると思います。

 

 

確かに彼女は社会的弱者です。

僕の片耳難聴とかいう
割とどうでもいい(と本人は思っている)
障害に比べたらずっと大変でしょう。

 

車いすだと通行一つにしても
色々な苦労はあるでしょうし、
人々の好奇の目に
晒されることも多いでしょう。

 

僕にはわからない様々な心の葛藤を
抱えながらも頑張って生活しているのです。

 

そんな彼女に対して
半健常者の僕が気を遣うのは当然です。

 

そこに議論の余地はないです。

 

 

ですが、もし、彼女が
そのつもりで僕に対して
「気を遣って当然」
と考えての発言だったとしたら
それは違うと思います。

 

 

例えば車いすじゃなくても日傘を
差している人が他人の横を通るときに
「退いてもらっていいですか?」
はおかしいでしょう。

 

相手が退くまで待つか、
「すみません、通してください」
とか色々選択肢はあったはずです。

 

 

気を遣われるべき側が
いるのは理解できますし、
できるだけ常日頃
そうしようとは思っています。

 

ですがそれを勘違いして
「気を遣われて当然」
と考え横柄に振る舞うのは違う。

 

絶対に違う。

 

それじゃ
「お客様は神様だぞゴラア!」
と店員に横柄な態度を取る
DQNと変わりません。

 

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はっきり言うと障害者は

気を遣ってもらうことに
慣れては
いけない。

 

 

…ああ…この発言で
全国の偽善者数万人は敵に回したな…

 

別に敵が増えようが嫌われようが
一向にかまわないのですが、
一応発言を擁護させてください。

 

この発言の意図ですが、
「障害者は助けを借りるな」
という意味ではありません。

 

「お互いに気を遣え」
と言いたいのです。

 

「気を遣われて当たり前と思うな」
と言い換えてもいいです。

 

別にこんなの障害者と健常者だけの
話じゃなくて、
一般社会では極々当たり前の
常識レベルの話なんだけど・・・

 

 

相手に気を遣う。

相手も気を遣う。

 

これだけで世の中は
うまくいくと思いませんか?

 

  • 店員はお客さんに気を遣う
  • お客さんは店員に気を遣う
  • 上司は部下に気を遣う
  • 部下は上司に気を遣う
  • 大統領は総書記に気を遣う
  • 総書記は大統領に気を遣う

たったこれだけですべての
社会はうまくいくはずなのに。

 

 

どうも最近
「気を遣われることに慣れた社会的弱者」
が多いような気がします。

 

健常者が一方的に
気を遣ってることって
多くないですか?

 

 

障害者だから
社会的弱者だから

だから僕(私)を助けて!

と主張するのは間違っています。

 

 

どこぞで聞こえる耳障りの良い
「差別のない明るい社会」
とやらは健常者に一方的に
気を遣わせる世界のことを
指すのでしょうか?

 

僕は違うと思います。

 

これでは逆差別です。

 

そうでなくとも
「障害者は特別だから気を遣います」
「はい、私たちは特別です」
これはむしろ「差別」に
なるんじゃないでしょうか。

 

もちろん全員が
今回の女性のような
態度の人ばかりじゃないです。

 

でもこんな態度の人も多い。

 

障害者に限った話じゃないです。
老人とかにも多いですね。

「年よりなんだから気を遣え」

「妊婦なんだから気を遣え」

とかね。

 

不当な差別や排除は
絶対に許してはいけませんが、
過剰な配慮で社会的弱者が
立場的強者になっている
現状はおかしいんじゃないでしょうか。

 

 

ここからは綺麗ごとを言います。

 

全員特別でもなんでもなく、
「一人の人間」なんです。

 

もちろん状況や事情は違います。

 

だからお互いが気を遣いあい
お互いの違いをフォローできる世界が
「差別のない明るい社会」
なのではないでしょうか。

 

 

繰り返しますが、
人間一人一人、事情が違います。

 

片耳難聴もいます。
車いすの人もいます。
妊娠している人もいます。
体の大きい人もいます。
小さい人もいます。
男もいれば女もいます。
LGBTもいます。
老人もいれば子供もいます。

 

こんなバリエーション豊かな人間を
ひとくくりにして「差を作るな!」
とか土台無理な話です。

 

差があったっていいんです。

 

要はその差に対して
お互いが気を遣いあえばいいんです。

 

違いをお互いが認め合えばいいんです。

 

 

障害者「ご迷惑をおかけしてすみません」
健常者「いえいえ、何か手伝いましょうか?」

 

これで明るい社会の実現は
可能じゃないでしょうか。

 

たったこれだけの事が
できない人が多すぎる。

気を遣われることに
慣れてしまった人に
僕はこの記事を伝えたい。

 

 

とここまで大げさなことを
書いておいてなんですが、
要約すると駅で車いすの女性の態度が
ムカついたので愚痴った、という
器のちっちぇえ記事です。

 

…身も蓋もねえな。

 

 

んで、記事書いているときに
思ったんだけど。

その車いすの女性は
障害者云々関係なくて、
元々そういう性格だった、
というオチもあるな、と。

 

そうだとしたら僕が
これだけ時間かけて
気を遣って(いや、遣ったのよ?)
書いた記事が無駄になりますね。

 

その女性の性格が悪かった、
としたらこの記事は
数文字で終わったんです。

 

ブログにするまでもない。

Twitterに載せれば数文字です。

 

 

 

調子乗るなよ!?(笑)

 

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