争うということの愚かさについて

争うということの愚かさについて

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ある日の深夜、戦争のニュースが
流れたのでふと考えてみた。

人が人と争い、
戦争を起こしてしまう理由。

 

戦争、つまり争いにあるのは
価値観の相違ではないか。

それはお互いの価値観を認めないから。

 

AにはAの理由や正義があり
BにはBの理由や正義がある

 

そんな価値観の違う者同士が
同じ領域にいれば諍いが
起きないはずはないのだ。

 

また、同じ空間を共有しなければ
価値観の相違は起こらない。

同じベクトルの人種だけが
その領域にいれば戦争は起きないはずだ。

・価値観の相違
・領域の共有

私はこの2つを取り除くことができれば
戦争は無くなるのではないだろうか、と
仮説を立てた。

 

だが、多様な価値観というのは
人間に許された一つの特権だ。

 

それ自体は尊重されるべきで、
多様性を無くした人間の集団なんて
昆虫と同じだ。

 

つまり価値観を共有することは難しい。

 

では領域を分けるというのはどうだろう。
それも残念ながら難しい。

 

この地球は510,065,600km²しかない。

もう一度言おう、510,065,600㎢しかない。

 

一見大きな数字だと思うかもしれないが、
この大きな数字をもってしても人は
その中で土地を求め、争い、
命を奪いあってしまうのだ。

 

万が一、宇宙空間も使えるとして、
同じベクトルの人間だけを隔離できるよう
住みかを分けても何の解決策にもならない。

多様性が失われるし、
結局は昆虫と同じになってしまう。

 

そもそも集めて問題が起きないような
同じ考え方の他人なんているわけがない。

 

この世から戦争はなくならないのだろうか。

 

私は悲観した。

だが絶望はしなかった。

まだ希望はあるはずだ。

 

そもそも価値観の相違というのは

Aがそれを認めるか、認めないか
Bがそれを認めるか、認めないか

と言える。

 

これがまったく同じベクトルなら
それは問題が起きない。

だが、同時に多様性も生まれない。

 

多様性を求めると価値観に相違が起き、
やがて大きくなると争いへと発展する。

 

Aは西の神を信仰し、東の神を認めない
Bは東の神を信仰し、西の神を認めない

 

Aは正義を愛し、悪を認めない
Bは悪を愛し、正義を認めない

 

Aは赤いきつねが好きで緑のたぬきを認めない
Bは緑のたぬきが好きで赤いきつねを認めない

 

Aはたけのこの里が好きできのこの山を認めない
Bはきのこの山が好きでたけのこの里を認めない

 

…ああ、私は絶望した。
この埋めようのない絶対的な価値観の相違。

 

人と人の間には絶対に埋められない
価値観の相違があることに気づいた

 

私だって
「赤いきつねが大好き!」
なんてやつがいたら、
絶対にチョキで殴ってしまう自信がある。

機嫌によってはグーで殴ることもあるだろう。

 

そしてこう言うだろう。
「赤いきつねのパッケージをお前の血で赤く染めてやろうか」
と。

 

 

また、たけのこの里が好きと
いうやつも私の中では
「たけのこを里を2つの鼻の穴に詰める」
という刑罰の対象でしかない。

 

大体、たけのこの里は崩れやすい。

私の価値観からしたら
大変下品な庶民の食べ物だ。

手に持つと粉がパラパラと崩れる。

 

キノコの山は絶対にそんなミスを犯さない。
彼は常に誇り高く、自分の美肌を
維持することに余念がない。

 

ただ、そんな私にも一つ許せない点がある。

開けたときにに何本か、
きのこのチョコでできた「かさ」部分の下、
いわゆる「柄(え)」の部分だけが
袋の中で屍のように横たわっている。

 

これはなんなんだ。

 

すでにたけのこの里と戦争が始まっていて
一撃で首を飛ばされたのだろうか。

 

ところで柄ってなんだ。

柄(え:stipe)とはキノコの傘の下についている円筒状の部位である。内部に維管束などの構造が分化しないため、茎とは呼ばない。また、俗に足(あし)とも言うが、正式な呼称ではない。しばしば湾曲することがあり、柄の上方と下方とで太さを異にすることもある。キクラゲなど、柄のないキノコも多い。内部は管状に中空なもの・柔らかい髄を有するもの・内部まで均一に菌糸が詰まった中実なものなどが区別される。なお、キヌガサタケなどの「柄」は、糸状の菌糸ではなく球状ないしソーセージ状に膨れた細胞群で構成された偽柔組織状の構造を有するため、しばしば偽柄(ぎへい)の呼称で区別される
引用Wikipedia

 

わからん。

なんなんだ柄。

Wikipedia先生に聞けばなんでも教えてくれるって
甥っ子が言っていたのに
調べたらむしろ余計に疑問が増えた。

柄なのか足なのか偽柄なのか。

 

とにかく私はチョコと一緒に柄を食べたい。

柄だけ食べてもそれは単なる
小麦粉を固めたものだし、
「キノコの山」ではない。

 

商品名は「キノコ」。

 

いや、「キノコの柄」。

 

もしくは「小麦粉を固めたキノコの屍」。

 

このような名前に変えてほしい。

それなら納得して食べる。

 

戦争を憂う私ですらこのような
狭量なことを考えているのだ。

これでは戦争がなくなるはずがない。

世の中には私がキノコの屍を許せない
以上の問題が山積しているのだ。

 

  • 宗教問題
  • 領地問題
  • 核兵器問題
  • 騒音問題
  • 大塚家具と匠大塚問題
  • 「ほっともっと」と「ほっかほっか亭」問題
  • 旦那のタバコは小遣いから捻出するか否か問題

 

これら、全世界の人間が考えていかなければ
ならない憂うべき様々な戦争の火種。

 

私はたった一人、孤独に考えている。

 

どうやったら戦争を無くせるか。

 

どうやったら多様性を守りつつ
互いの価値観の相違を認め合えるか

 

どうやったら近所のチワワに
一方的に吠えられずに済むか

 

どうやったら赤いきつねの
おいしいお揚げを
緑のたぬきに搭載できるか

 

世の中にはお互いが納得できない、
理不尽な問題が多すぎる

 

ふと手を止める。

 

執筆のお共に食べていた、
たけのこの里が無くなった。

 

手には大量の粉。

 

これを服で拭くか、ティッシュで拭くかで
その家庭の程度が知れるというものだ。

 

手に付いた粉を口に入れる。
その後、ティッシュで拭く。

 

そのしぐさ、まさしく英国紳士。

 

たけのこの里が無くなって口さみしいので、
なにかないかと食糧庫を漁った。

すると私は冒頭の
「戦争を無くす」という問いについて
一つの答えを見つけた。

 

そうだ、きこりの切株を食べよう。

あと、黒い豚カレー。

 

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