佐久間象山(さくましょうざん/ぞうざん)は、東洋と西洋両方の文化・技術に精通し、砲術家・科学者・医学者・政治家・詩人・儒学者などさまざまな顔を持った江戸時代の人物です。
その佐久間象山の功績を称え、祀るために創建された神社が「象山神社(ぞうざんじんじゃ)」です。
立派な本殿や美しい池、景色が楽しめる神社ですが、他の神社にはないちょっと一風変わったオブジェ(?)もあります。
入り口の銅像からしてもうすでに楽しそう!
地元では有名な神社なので、松代へ遊びに来たら必ず立ち寄ってほしい!
というわけで、今回は象山神社を取材してきました。写真多め、そしてそれ以上に文字多めで紹介しますので、観光の参考にどうぞ。
そもそも佐久間象山とは何者?
象山神社を紹介するとなると、当然佐久間象山についても解説しなくてはいけませんよね。ですが、ちゃんと解説すると歴史が苦手な人は頭痛を起こす可能性があります。
普段の生活で目にしない人物名とか、単語がいっぱい出てくるよ!
さらにしっかり解説したとて、松代の公式サイトとか、もっと正しくて詳しく解説したサイトが山のようにあります。
そんな中、僕の解説にどれほどの価値があるというのだ。
しっかり書いたところで読み飛ばされるのは目に見えている。
なのでいったん詳しくとか正しいかどうかとかはいったん忘れ、僕なりの解釈と説明で歴史が苦手な人にもできる限りわかりやすく佐久間象山を紹介します。
ちょっと長いですが、佐久間象山について知ると象山神社がもっと楽しくなるので、ぜひ読んでみてください。
ただし、正しい歴史や情報を知りたい方は、もっとまともな資料やサイトを見たほうがいいです。
佐久間象山は、江戸時代松代藩に仕えていた藩士で、朱子学(儒教)や兵学、砲術と東西のあらゆる知識を学んだ人物です。
大砲の鋳造に成功し西洋砲術家と呼ばれるなど、その業績や名声は数知れず。
佐久間象山の優秀さを短い文にまとめるのは難しいのですが、彼が砲術や兵術を教えるために江戸で開いた「五月塾」の門弟たちの顔ぶれを見ればその優秀さがわかります。
当時の門弟にはあの「勝海舟」や「坂本竜馬」、「吉田松陰」など、のちに日本の逸材たちが名を連ねていました。
余談ですが、某お宝鑑定番組に佐久間象山真筆の書が出てきた際は、鑑定額150万円でした。
輝かしい経歴や門弟の豪華さから「なんとなく偉い人」というイメージを持っている方も多いと思いますが、資料を調べてみると実はかなり「ぶっ壊れている人物」だったようです。
- 性格は「超」がつく自信過剰
- 自分が正しいと思えば上の人間にも反発
- んで、当時の松代藩主真田幸貫をブチギレさせて自宅謹慎を食らう
- 自らを国家の財産と称し、「俺の子供は絶対優秀」とか言っちゃう
- だから坂本龍馬に「子供がたくさん産めるケツのでかい女性を紹介しろ」と頼んでいた
- だが、生まれた息子はバk…放蕩息子
お世辞にも人格者とは言えない性格だったようです。
一癖も二癖もあるその性格は、門弟からも
知識と才能は確かだが、性格は最悪(要約)
とか言われてしまう始末。
その強烈なキャラクターのせいで、味方も多かったものの、良く思わない人も相当多かったようです。
ただ、こういうダメダメなエピソードを聞くと、「単純に偉そうな歴史上の人物」だった佐久間象山が、「人間味のある身近な人物」として記憶に残りますよね。
なんだかんだで40歳過ぎてもやんちゃな佐久間象山さん、浦賀にペリーが来航(いわゆる黒船)した際も奔走したりと、いろいろ活躍しています。
んでその際に、門弟の吉田松陰がペリーの船に密航しようとして失敗し、佐久間象山も連帯責任で投獄されたり、松代の自宅で謹慎食らっちゃう。
(人生で何回謹慎食らってんのやろ…)
そんな佐久間象山ですが、最後は京都で尊王攘夷派の志士によって暗殺されてしまいます。
尊王攘夷派とは、簡単に言うと「天皇様大好き!外国人なんか1mmたりとも日本の敷居を跨がせんじゃねえよ」という思想を持ったグループです。
佐久間象山は開国派、つまり「外国人と交流し、その知識と技術を取り込んで国を強くしようぜ!」という、尊王攘夷派とは正反対の思想を持っていました。
正反対の思想が相容れるはずもありません。
人類の歴史において、過去にも数えきれないほどの相反する思想が激突し、悲劇が起こっています。
- 宗教戦争
- 源氏と平家
- 開国派と尊王攘夷派
- 犬派と猫派
- きのこの山派とたけのこの里派
- こしあん派とつぶあん派
- 赤いきつね派と緑のたぬき派
- GLAY派とL’Arc〜en〜Ciel派
- 鮭の皮食べる派と食べない派
…話がそれました。
要は鎖国(海外との交流を断つ)を続けたい尊王攘夷派にとって、西洋学に詳しく開国派の佐久間象山は「西洋かぶれの敵」だったわけです。
佐久間象山、享年54歳。
佐久間象山が暗殺された京都市の「中京区木屋町通二条下る一之船入町」(多分めっちゃ都会ですね)には、遭難之碑が建てられてます。
どうでもいいんですけど、京都の住所って独特ですよね
ちなみに「佐久間象山」の読み方は「さくましょうざん」が一般的ですが、長野県ではなぜか「さくまぞうざん」と呼ばれています。
なので、象山神社の読み方は「ぞうざんじんじゃ」です。
読み方が違う理由は諸説あるうえ、複雑で長いので省略。
僕のパソコンでも「さくましょうざん」と入力しないと正しく変換されないので、やはり「しょうざん」が一般的なのかも…
象山神社とは佐久間象山を祀った美しい神社
象山神社は、1938年(昭和13年)に全国の教育関係者の尽力によって創建されました。
総桧材桃山式流造の壮大で美しい本殿や佐久間象山の生家跡があり、歴史や神社好きの方なら絶対興奮間違いなし。
一方で、佐久間象山本人の超巨大ブロンズ像や立ち並ぶ門弟たちのブロンズ像など、「ちょっと普通じゃない」ところもあるので、神社や歴史に興味が無い方でも楽しめると思います。
何にしても松代観光を語るうえで絶対外せない神社です。
象山神社の基本情報・アクセス
住所 | 〒381-1231 長野県長野市松代町1502 |
電話番号 | 026-278-2461 |
営業時間 | 24時間 |
定休日 | 無し |
入場料 | 無料 |
駐車場 | あり |
所要時間 | 20~30分 |
象山神社は長野市松代地区にあります。
位置的には、松代城跡と松代大本営地下壕の中間くらい。
超有名な神社なので、あちこちに看板も出ていますし、万が一道に迷ったら地元の方に聞けば、「ああ、あの超でっかい銅像のある神社ね」と、一発で教えてくれるはずです。
象山神社の入り口には、自己主張超強めの佐久間象山のでっかい銅像があるので、近くまで行けば必ずわかります。
銅像付近に駐車場がありますが、5台くらいしか停められないので、休日は注意しましょう。
象山神社入り口から本殿が見えます。
鳥居込みで美しい一枚の絵になる風景です。
象山神社を楽しむためのポイント・注意事項
- 周りにも観光名所がたくさんある
- 駐車場は参拝の時のみ利用しよう
象山神社周辺には、松代大本営や松代城跡、真田宝物館など様々な観光スポットが密集しています。効率よく回らないと、見たい場所すべてを回れないかもしれません。
他の観光地を回りたい場合は、見る場所や拠点の駐車場をある程度しっかり調べて、時間やルートを計算した方がいいと思います。
もちろん決めすぎて予定と時間に振り回されてもアレなので、「ある程度」です。
なお、象山神社以外の観光スポットに行く際は、当然ながら象山神社の駐車場を使ってはいけません。
象山神社周辺には駐車場がかなり少ないので、象山神社の駐車場に停めたままにしたい気持ちは痛いほどわかりますが絶対にダメです。
象山神社の近くには無料の代官町駐車場(象山東駐車場)と、2時間200円の象山駐車場がありますがどちらも停められる台数は少なめ。しかも場所がわかりにくいです。
なので、休日は駐車場探しに苦労するかもしれません。
どうしても停められないときは松代城跡付近の大きな駐車場に停めて、レンタルサイクルで各所を回るのもいいかもしれません。
象山神社周辺の観光スポットについては、松代観光協会公式サイト(と、このサイトも)をチェックしてください。
象山神社を散策
鳥居をくぐると、登録記念物に指定されている池が見えてきます。
池の中にはカエルの石像(看板の裏辺り)があるので、ぜひ見ていってください。
奥に本殿が見えていますが、たぶんまっすぐ本殿に行く人は少ないと思います。
というのも、左側に絶対無視できない存在感強めの名所(迷所?)があるからです。
左側を見ると、なにやら怪しげな(失礼)銅像が7体並んでいます。
普通の人は、本殿よりもまずこっちが気になって寄ってしまうはず。
この銅像たちは、松代藩主真田幸貫と佐久間象山、そして佐久間象山の門弟5人の銅像です。
厳かな神社の中に並べられた複数の銅像たち…初めて見る人はちょっと怖いかもしれません。
長野県の「子供が怖くて泣きだしてしまう場所ランキング」で間違いなく10位以内にランクインしてしまう場所です。
まあ、ぶっちぎり1位の松代大本営地下壕には勝てませんけど。
門弟5人は、歴史に詳しくない僕でも名前を知っている「勝海舟」「坂本龍馬」「吉田松陰」と、聞いたことあるような無いような…の「小林虎三郎」「橋本左内」。
本殿は登録有形文化財で、安土桃山時代を代表する豪壮華麗な建築様式「総桧材桃山式流造」で建てられています。
その名の通り、木材は総ヒノキ。
いま純国産の総ヒノキで神社造ったらいくらするんやろ…
と、真っ先にゲスい計算方式が思い浮かびました。
象山神社境内は広く、景色も美しいです。
この建物は、佐久間象山が暮らした家の茶室を移転したもので、「煙雨亭(えんうてい)」と呼ばれています。
象山神社入り口の鳥居をくぐり、すぐ左に曲がると佐久間象山宅跡に行けます。
個人的に象山神社の境内で一番美しい道だと思います。
佐久間象山宅跡は、佐久間象山が生まれてから29歳で江戸へ留学するまで、29年間暮らした生家があった場所です。
象山の死後、佐久間家は断絶してしまい、屋敷は当時の藩に取り上げられて壊されてしまいました。そのため、現在残っているのは敷地のみです。
ほとんど何も残っていませんが、この広い敷地が家だったことを考えると実家は結構なお金持ち…?とか思ってしまいますよね。
記録によると佐久間象山の父親「佐久間一学(国善)」は、松代藩主の側右筆(秘書みたいなもの)というけっこう偉い人。しかも卜伝流(ぼくでんりゅう)剣術の達人だったそうです。
ただ、記録上給料は「微禄(ちょっと少ない)」とあり、「お金持ち」とまでは言えなかったのかも。
歴史的な場所や建物は、こういう余計な知識を知れば知るほど実際に行ったときに楽しめます。今回は、ちょっとカジュアルに説明しましたが、ちゃんと勉強すると象山神社をもっと楽しめると思います。
というわけで、今回は象山神社を紹介しました。
松代にはほかにもまだまだ見るべきスポットが多数あるので、以下の記事も参考にぜひいろいろ回ってみてください。
関連記事:松代象山地下壕(松代大本営地下壕)は、戦時中の空気を体験できる防空壕